6月の下旬。嫁さんの実家の庭先で採取した正体不明の幼虫が、2週連続で蛹化した。1週目の個体はケースのマット内で蛹化したためその過程を見ることはできなかった。蛹になれば、♀でなければ種の同定ができるわけだが、マットの隙間から見る限り、どうやら♂のノコギリのようだった。同じ場所から採取して、幼虫の姿形もほとんど同じだったため、おそらくもう片方もノコギリだろうと思う。ノコギリクワガタは体格による大アゴの形状変異が大きく、大アゴの小さな原歯型はまるで別種のように見えるほどだが、ノコギリクワガタという和名はこの原歯型の形状からつけられたものであり、大アゴの立派な大歯型は、いわゆる大工道具の鋸とは程遠い形をしている。とはいえ、原歯型やそれより少々大型の両歯型は見た目も貧弱なため、できれば大歯型がほしいところではある。
クワガタはカブトと異なり、蛹室を水平に作る(カブトは垂直)のだが、ネットで得た情報によると、クワガタの蛹は羽化の際、それまで仰向けだったのが突然うつ伏せになり、足を踏ん張って脱皮をするとのこと。このときに蛹室がプラケース底面にあると、足が滑って踏ん張れないために羽化不全になってしまうことがあるという。また、二酸化炭素は重いためにどうしてもマットの底のほうに溜まりがちになるので、酸欠から壊死を引き起こすこともあるとか。これを回避するには、人工蛹室なるものを用意して、蛹のうちに掘り出して人工蛹室で羽化させれば良いそうだ。人工蛹室の作り方にもいろいろあるのだが、作者はオアシスと言われる園芸用の保水材を用いて作ることにした。オアシスは発泡スチロールのような物質で、カッターナイフ等で自由な形に加工できる。これを適当な(テキトーではない)大きさに切り、スプーンで蛹に合った大きさの穴を掘る。このとき、♂であれば羽化後大アゴが前方に伸びることを想定して、多少長めの蛹室を掘る必要がある。大雑把に掘ったら小型のスプーンで形を整え、水を含ませて細かい凹凸を指で均す。あとはこれに蛹を移し、小型のプラケースにセットして常に水分を切らさないようにして保管すれば良いわけだ。オアシスの値段は100円前後と安く、一つのオアシスからノコギリクワガタの♂なら5頭分以上の人工蛹室を作ることができる。
先に蛹化した個体を掘り出すと、確かに大歯型のノコギリに間違いないのだが、左右の大アゴがきちんと対称になっておらず、右が随分と下方へ曲がっていた。これを治そうと思って指で右の大アゴを持ち上げてみたところ、根元からヘンな形にグニャっと曲がってしまい、慌てて元に戻したが若干シワが残ってしまった。これが原因で羽化不全が起こらないことを祈るばかりである。オアシス人工蛹室へ移すと、新しい環境に驚いたのか腹部をグルグルと回すように動かしている。一説によると、蛹はこうして自分の存在を他の個体にアピールすることで、まだ活動中の幼虫が誤って蛹室内に入ってこないようにしているそうだ。また、種によってこの腹部回転の周波数が異なり、幼虫や蛹はこれを聞き分けてそこにいるのが同種か異種かを判断しているということだ。何とも驚くべき話ではないか。
さて、この日はまだ蛹化していないもう一頭も予め人工蛹室に移すことにした。人工蛹室に入れておけば、ひょっとすると蛹化の現場を目撃できるかもしれないからだ。そしてこれが功を奏し、数日後には見事蛹化の現場を目撃。その一部始終をカメラに納めることができたのである。この個体については、背中に黒いシミができており、無事に蛹化できるのか心配していたが、実際にはシミが原因となって脱皮に支障を来たすようなことはなかった。脱皮を終えた蛹にはシミもなく、どうやら幼虫の皮膚のみが変色していたようだ。
丸まっていた幼虫が一直線になり、内部に蛹の体が作られているときの状態を「前蛹」という。前蛹は次第に胴体の蛇腹が平らになり、表皮が突っ張った状態となる。更にお尻の部分の水分が抜け、シワシワになってくるといよいよ蛹化が始まる。体をポンプの様に動かし、体内の水分を頭部に押し上げると、頭部を覆っていた殻が割れ、蛹の頭部が顔を出す。幼虫と蛹では形が全然異なるが、イメージ的には前蛹の体内に蛹の体がまるで折りたたまれた風船のように収まっていて、そこに一気に空気を送ることによって中の風船が膨らみ、その力で外皮が破ける・・・そんな感じである。言葉で説明するのがなかなか難しいので、ぜひとも
蛹化連続写真を見ていただきたい。注意深く観察すると、口や気門など、幼虫と蛹を繋ぐ管が糸状に抜けていくのがわかる。脱皮に要する時間はおよそ1時間だが、完全に脱皮を終えても腹部は収縮し続ける。蛹ははじめ透明感のあるクリーム色をしているが、数時間後には奇麗なアメ色となり、翌日には粉を吹いた干し柿のような色に変わる。これからひと月ほどの時間をかけて、蛹の体内に成虫の体が作られ、羽化を迎えるのである。
この日は、ノコギリの蛹化を観察する一方でサキシマヒラタのペアリングを行った。産卵木を3本ほど用意して、昆虫マットの袋の裏にあった説明に従って3時間ほど水に浸し、中型のプラケースを用いて昆虫マットで埋め込んだ。そこに♂と3頭の♀を放した。いきなり環境が変わった4頭、特に♀3頭は驚いて餌皿の下に潜り込み、ガリガリという不穏な音が聞こえた。慌てて餌皿を持ち上げて見ると、♀同士が隠れ場所を求めて争い、1頭の♀が前脚をかみ切られていた。腕をかみ切られた♀はすごすごとマットに潜り、しばらく姿を見せなかった。部屋を暗くして様子を伺っていると、抗争に勝った♀が♂に寄り添うようにしてゼリーを食べていた。そのうち♀が♂の下に潜り込み、「ねぇ・・・抱いて」と交尾を要求したが、♂は人様の腕をかみ切るような乱暴な♀は好きではないのか、それとも♀のあまりの積極的な態度にどうしてよいかわからないのか、ただオタオタするばかり。♀はイラついて「女に恥かかせないでよ! 意気地なし! 私、帰る!」と怒って(かどうかは知らないが)その場を離れようとしたそのとき、♂は急に素早い動きを見せて交接器を伸ばし、交尾を果たした。サキシマヒラタの属するDorcus属は脚が短いためか♂が♀に覆い被さるような形ではなく、♂と♀がV字型に並んで交尾を行うと聞いていたが、まさにそのとおりだった。この現場を目撃した嫁さんは、「あらららら・・・。今日知り合ったばかりなのに、もう・・・」と、現代社会の性の乱れを危惧するおばさんのような感想を述べていた。30分ほどかけて充分に交尾が済むと、♂はしばらく呆然としてその場にとどまっていたが、♀は何事もなかったかのように食事をし、そして去っていった。オンナというのは実にしたたかな生き物である。