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pet and aquarium

---その30:ラッキー逝く〜愛犬たちとの想い出---



ラッキー号(平成17年8月8日逝去・享年17歳)

 このコンテンツも実に長期に亘って放ったらかしになっていたが、pet and aquariumと銘打っている以上、絶対に外してはいけない出来事が(実は半年ほど前に)あった。愛犬「ラッキー」の死去である。
 すっかり時間が経ってしまっているのでどうにも今更感が拭えないが、この記事を書いている時点で作者の人生の半分近くを共に過ごした存在として、やはり一言(では収まるはずもないが)記しておきたいと思う。

 ラッキーに出会ったのは平成元年10月のことだった。当時から熱帯魚の飼育をしていた作者は、高校の帰り道に友人AおよびBを誘って、ペットコーナーのあるDIY店に立ち寄った。この店は自宅からも学校からも全然近くないため、友人Aは当初DIY店まで足を延ばす事に難色を示していたが、缶ジュース1本で簡単に買収され、快く(かどうかは知らないが)店まで付き合ってくれた。
 普段であれば、店内に入るとまっすぐに熱帯魚のコーナに向かって魚を物色し、少ない小遣いで買えるような安い魚を数匹、酸素と一緒にビニール袋にパッキングしてもらって帰宅するわけだが、その日連れ帰ったのは魚ではなかった。店の入り口近くに黒い金属製のケージが置かれ、その中でかわいらしい仔犬が不安そうに身体を震わせていたからだ。ケージには「生後50日の雑種です。どなたかもらってください」とマジックで書かれた紙が貼られていた。

 我が家は昔から、常に犬を飼い続けてきた家だった。父の転勤で福島に越してきてからは、アパート住まいだったために飼ってはいなかったが、かつて住んでいた横浜では作者が生まれてからだけでも「熊五郎」「チビ」「エル」の3頭の犬を飼っていた。以前にこのコンテンツで書いたことがあったので、記憶力の良い人なら憶えているかもしれない(作者は以前に書いていた事などすっかり忘れていた)が、熊五郎は作者が物心付く前に死んでしまったので殆ど憶えていないのだが、チビ、エルについてはどちらも実に気の毒な死に方をさせてしまっていた。

 チビは幼稚園に入る前の作者が抱きかかえられるほどの、とても小さな犬だった。いや、単にまだ仔犬だっただけなのかもしれない。いずれにしても、チビは大きく成長する前にこの世を去った。・・・あのときのことは、今でもはっきりと憶えている。悪夢と言うのは突如、その姿を顕すものだ。作者はいつものように、チビを抱きかかえて遊んでいた。チビも大喜びだった。しかし次の瞬間、作者は手を滑らせて、チビを床に落としてしまった。その時以降、チビは普通には歩けない、ビッコを引く犬になってしまったのだ。しかし、悪夢はそれだけでは終わらなかった。チビの受けた傷は、脚だけではなかったのである。
 ある日、チビの姿が見えなくなった。両親にそのことを訊ねると、チビは動物病院でケガの治療をしているという。作者は幼い頭で、チビのケガは脚だけではなく、例えば頭とか、どこか悪いところをぶつけてしまったのだと理解した。「チビ、なおるんだよね?」とすがるような思いで問う作者に、両親は「治るといいけど、治らないかもしれない」と答えた。そして・・・何日待とうともチビが退院してくることはなかった。今日こうして楽しく遊んでいる間も、チビは病院で苦しんでいる・・・。そう思う日が何ヶ月も続いた。そしてあるとき、チビが病院で亡くなったことを知らされた。「ぼくが・・・ころしたんだ」・・・作者は自分を呪うと同時に、「命とは、こうも簡単に終わってしまう」ということを、弱冠4歳で思い知る羽目となった。

 小学校に上がった作者のもとへ、新しい犬がやってきた。その犬は父の実家で飼っていた「エス」に因んで、もっと大きく育って欲しいという願いを込めて「エル」と名付けられた。エル(に限らず動物はみなそうだとは思うが)はタバコの煙が大嫌いだった。両親がタバコを吸い始めると、玄関の土間まで逃げていってこちらの様子を窺い、タバコを吸い終わるとまた部屋に入ってきた。炬燵を占拠して侵入者の足に噛みつくという暴挙に出たこともあった。もっとも、ケガをするような噛み方ではなかったし、何よりかわいらしい顔をしていたので、どんなわがままも全て愛嬌として受け入れられていた。
 当時の作者の自宅周辺には、通称「青木のよっぺ」と呼ばれる酔っ払いが徘徊し、路肩に座り込んでは弁当を食い、道行く人に言葉とも思えぬ言葉を投げ掛けていた。当時は野良犬も多く、青木のよっぺは野良犬たちにも弁当を振る舞っていたので、付近の住民には受けが悪くとも犬には大変人気があった。
 ある夜、どうやら散歩が足りなかったと見えて、エルがクンクンと鳴き声を上げた。野中の一軒屋ならともかく、横浜の住宅密集地でこれでは近所迷惑になると思い、そういったときには首輪から鎖を外して一人で散歩に行かせた。そういうことをしても翌朝にはちゃんと犬小屋に戻ってくる犬だったのである。ところが、その日以降エルは戻ってこなかった。どうやら、エルも近所の野良犬たちと一緒に、青木のよっぺの配下に加わってしまったようなのだ。登下校や通勤の途中、スーパーの行き帰りなどに、エルは我々家族の前に姿を表し、わざと近づいてはまたダッシュで走り去るということを繰り返した。彼にしてみれば、軽いおふざけだったのだろうと思うが、三日飼ったら恩を忘れないと言われる犬を、僅か一晩で支配下に置く青木のよっぺ、なかなかに侮れない人物である。
 そんなある日、保健所の野良犬狩りがあった。青木のよっぺの息のかかった野良犬たちは、普段はあんなによく出歩いているのに、野良犬狩りのある日はどこかに隠れてしまい、まったく姿を現さなかった。一目見ただけで相手の意図を見抜き、己にとって害を為す人間かどうかを判断する。野良犬として生きていくための必須能力である。逆に言うと、そういう事ができない犬は野良犬としては早々に淘汰されてしまうわけだ。・・・エルは、後者だった。野良犬としての経験値の低いエルは、相手が保健所から委託を受けた野良犬狩の人間とも知らず、尻尾を振って出て行き、そのまま捕まってしまったのである。その一部始終を目にした近所のおばさんから、「エルによく似た犬が、保健所に捕まって連れ去られていった」という話を聞かされたのは、エルが既に処分された後だった。現実を受け入れられない作者(当時小学3年)はその日以降、エルが自宅前の道に戻ってきているような夢を毎晩のように見るようになった。そしてその都度、二階の窓を開けて暗闇に目を凝らし、そこに彼の姿がないことを確認しては、涙で枕を濡らしたものだった。

 そして、ラッキーである。福島に越してきてしばらくは、アパート住まいということもあって犬など飼えなかった(その割にモルモットは飼っていた)が、ラッキーと出会った秋から起算してちょうど3年前に家を建てていたので、連れ帰って飼えないこともなかった。友人ABもそこにつけ込んで「お前の家は庭があるだろう。人の心があるなら連れてってやれよ」と勝手なことを言ってくれた。確かにうちの両親は犬好きだ。だがモルモットの世話を両親に任せっきりにしている状況で、また新たなペットを持ち込むには、それなりの策が必要だ。まず、何も連絡せずにいきなり連れ帰るのはまずい。公衆電話から自宅に電話をかけ、連れ帰っても構わないという言質をとる必要がある。「貰い手を探している犬がいる」では「なら誰かが貰ってくれることを祈ろう」という返事が返ってくることは想像に難くないので、「捨てられている仔犬がいる。拾ってあげないときっと死んでしまう」とウソ・・・じゃなくて方便を用い、無事、母の許しを得た。
 帰宅すると、玄関にダンボールが置かれ、中にタオルケットが敷き詰められていた。来ると決まった時点で受け入れ準備を整える。実に甲斐甲斐しい母ではないか。おまけに「名前、何にしようか?」とすっかり乗り気の様子。父を含めた家族3人で色々と候補を挙げていたが、結局、その日に始まった斉藤由貴のドラマ「ラッキー! 天使、都へ行く」に出てきたアライグマ「ラッキー」に似ていたことから、そのまま「ラッキー」と名付けられた。学校帰りにふと、熱帯魚を買いに行こうと思った事、気が進まないものの缶ジュース1本で買収されてDIY店に着いてきた友人が、作者の背中を押した事、母への方便がすんなり通用してしまった事、仔犬が雄だった事、そして何より、両親が犬好きだった事、全てが彼にとって「幸運」であったのだから、ラッキーという名は言い得て妙と言えよう。

 以降、ラッキーは我が家の次男としてとても可愛がられた。「人間と犬は別なんだから、そこだけはきちんとしなければ、犬は自分が飼われている存在だということを忘れ、人間と同等の立場を要求するようになる。この犬は座敷犬ではないのだから、絶対に玄関から上に上げてはいけない」と偉そうに演説をぶっていた父本人が、作者と母親が買い物に出かけている間に真っ先に部屋に上げていた。おまけにそのすぐ後に、犬のくせに人間を差し置いて風邪を引き、結局春になるまで部屋の中で過ごした結果、雑種の中型犬であるにも関わらず座敷犬になってしまった。その代り、(なかなか信じては貰えないが)「おかあさん」や「ちょうだい」「さんぽ」などの言葉は、オウムや九官鳥ほどではないものの、確かに人間の言葉で言えるようになった。
 その事からもわかるように、頭の良さはかつて飼っていた犬の中でも抜きん出ており、道に食べ物が落ちていても絶対に拾い食いはしなかったし、すぐ横で人間が焼き鳥などを食べていても、「ちょうだい」と言葉では請求するが、横から顔を突っ込んでくるような行儀の悪い真似はしなかった。あるときなどは父が散歩に連れていき、深い側溝に落とそうと脚でラッキーを押した(もちろんおふざけであり、本気で落とそうとしたわけではない)事があったのだが、その翌日の母との散歩では、その側溝まで母を引っ張っていき、側溝の奥と母の顔を何度も交互に見て、昨日、父にいじめられたことを訴えていた。母は散歩から帰ると、早速父に「昨日、ラッキーを側溝に落とそうとしたでしょ!?」と問い詰めていたが、父は「・・・誰に聞いたんだ!?」と自らの悪事の露見に狼狽していた。しかしその一方で体はとても弱く、腫瘍のようなものができて2度ほど外科手術のお世話になったり、フィラリアに感染したりと病院通いはしょっちゅうで、そういう意味ではとても金のかかる犬だった。

 大人になっても比較的若い顔立ちの犬だったが、15歳を過ぎたあたりからすっかり老いた表情になり、昨年の2月に初めて倒れた。床に伏せって動こうとしない姿に、ひょっとすると春を迎える事は難しいかと思われたが、それでも一時的に回復し、以前ほど元気ではないにせよ、再び散歩に行くこともできるようになった。だが福島の厳しい夏を越える事は難しかったと見えて、昨年の夏、ついにこの世を去った。亡くなる数日前に実家の母からラッキーが危篤との連絡があり、もうこれで最後かもしれないと思いながら一家5人で会いに行った時は、危篤だったはずのラッキーが力を振り絞って起き上がり、帰りがけの我々のクルマを見送ってくれた。これが、我々の知るラッキーの最期の姿だった。火葬場に出かけた両親の話では、乳製品が大好きなラッキーらしく、遺骨が大型犬用の骨壷にも入らず、風呂敷に包んで帰宅したそうだ。10月第一週の新ドラ放映開始日に連れ帰ってきたときに生後50日ということは、おそらく誕生日と命日がほぼ一緒ということになるだろう。平成17年8月8日逝去、享年17歳(満16歳)だった。

 ラッキーが亡くなった後で、作者は両親にラッキーが我が家にやってきたあの日の「方便」を暴露した。「きったねー、よくも騙したな」とは言っていたが、全て後の祭りである。だがそれもお互い様。なぜなら、かつて横浜にいた頃に飼っていた「チビ」の死因は、作者が床に落とした際に負ったケガによるものではなかったのだ。元々お菓子屋で飼われていた犬だったため甘いものをたくさん食べて育っており、作者の元へ来た時には既に腹の中に大量の虫が湧いていた。当時まだ作者が小さかったため、獣医の「小さな子供がいるならこの犬は諦めたほうがいい」という助言に従って、断腸の思いで処分したのだった。そのことを当時の作者に理解させるのは難しいので、わかりやすく「ケガをしたので死んでしまった」ということにしたようだが、これって「きったねー、よくも騙したな」どころの話ではないと思うのは気のせいだろうか。何しろ作者は30年もの間、「自分が犬を殺してしまった」と心に傷を背負って生きてきたのだから・・・。


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